今の社会において極真空手が願われることは一体何であろうか。すべての質が向上することに他ならない。まず、極真空手において、社会的認知が絶対的に必要である。
私達は、創始者大山倍達がドラスチックに空手界に波紋を投げかけたことを実感している。極真における直接打撃制は誰が認めなくとも、多くの空手の流派の間でその理想を受け入れている。
創始者大山倍達は、極真会館を創設するに当たり、空手道に対する理想を持っておられた。その理想は、今の極真会館をはるかに上回るところに置かれていることには間違いない。
武道家として心がけなければならないのは、人権と環境を蹂躙してはいけないということである。武道を志すものは、人権と環境の公的なすべてに関して蹂躙してはならないという思想を徹頭徹尾持たなければならない。
極真空手は、道場生と一つになって稽古をする。指導員の下、準備体操から、基本稽古、移動稽古、そして組み手に至るまで、全体がまとまって稽古する。
極真空手は、稽古をもって始まり稽古で終わる修行の自己練磨の場所である。
大山総裁が、歩んだ空手道の道は、平坦な道ではなかったということを容易に伺い知ることができる。大山総裁が、空手の稽古を始めたのは、自宅の庭先からであった。